COMMUNITY_Vol.1

 

 

シニアソムリエ 林 暁男さん

 林 暁男さんは、永くホテルオークラでソムリエをなさっていて、退職された今もワイン関連の様々な活動をなさっていらっしゃる「ワインをこよなく愛する方」。数年前、お母さんの介護のために出身地の千葉県の田舎に戻り、現在はその地を安住の地として暮らしています。ソムリエ時代も、機知に富んだ仕事ぶりに多くのファンに親しまれてきました。地元に戻った今も地域に交わり、ソムリエとしてだけではなく、アーティーチョークなどの栽培、ぶどうの研究など、アイデアいっぱいに精力的に活動しています。
 

Q. まずは一流のホテルマンをめざして


 ホテルオークラに勤めていて、当時アムステルダムで新規ホテルの開業があり、私は半年くらい前から現地の準備室に出向で行っていて、その後、そこで働くわけですが、ホテル全体では25、6カ国ぐらいの人間が働いていました。自分の配属はフランス料理になりました。ジョイントベンチャーなので、そこでは日本人が多いのですが、その部署には9カ国の人間がいました。その際に、料理を作る部署のトップのスイス人から日本人スタッフに向けて「君たちはダメだよ!」と言われました。
 スイスには世界的なホテル学校があり、「ホテルやるならスイス」と言われるぐらいで、スイス人には自信があったのでしょう。入社して2年半ぐらいの私には理由がわからず、「では、なぜダメなの」と聞き、それにはいろいろと具体的な答えが返ってきました。
 その当時の私の仕事は、東京でいう黒服的なサービスの仕事でしたが、その答えに刺激され、自信の仕事をいろいろ考えるとこれでは「出る幕がない、勝てないな」と思うようになり、ダメなことをよく聞いて一つひとつ潰していきました。最後には、「売り上げを伸ばすために自分の信頼できるお客さんを呼んで、部下として大事な客さんを任せられるだけの技量が日本人には足りない」ということが判りました。
 どうしたら良いかと考えた時に、日本人以外のお客様をきちっとおもてなしできるかが重要で、ひとつが語学です。スイス人は6ヶ国語ぐらいは平気で話します。そこで9カ国の人が働いていても、ほとんどコミュニケーションには不自由しません、最低3カ国語は必要です。もうひとつは、人に使われることよりも人を使うことを考えないと計画的な仕事はできないということがわかりました。その後、それを自分自身のこととして、いろいろと情報を集めをしました。
 

Q. 問題解決のために本当に必要なのは?


 問題解決のためには時間とお金が必要でしたが、私にとって、優先順位の1番は時間でもお金でもなく、やりたいかやりたくないかということでした。先ずは語学の問題として、あるつてで良い学校を教えてもらい、会社へは、語学を勉強し、戻ってきて復帰後は会社のために貢献したいという旨の申請を出しました。会社の回答は、休職であればOKということでしたので、ためたお金を全てつぎ込んで、フランスのブザンソンの学校へ行きました。
 余談ですが、当時25歳ぐらいの私の給料は月に12、3万円でしたが、記憶では一番お客様から頂いたチップの額は、月60万円ぐらいだったと思います。その理由は、常に「どうしたらお客様からチップをもらって、お客さんに喜んで帰ってもらうか」を寝ても起きても考えていたからだと思います。チップは当時ポイントシステム制で分配されましたのでいただくのは一部ですが大きな収入源でした。
 チップを貰うためにはいろいろな工夫をするのです。それは売上アップにも繋がっていきます。
 

Q. ソムリエへの一歩


 語学学校からの復帰後しばらくして、上司からソムリエにならないかという話がありました。当時そのホテルの他の3人のソムリエはイタリア人、オーストリア人、オランダ人で、日本人のソムリエはいない時代でした。まだ、(一社)ソムリエ協会も存在しない頃です。
 その時、今後仕事をしていく上で、黒服よりもソムリエの方がなんとかなるような気がして、なんとなくソムリエの方が楽なのかなと思ったんですね。当時、私がしていたサービスの仕事は、今おもてなしのプロといわれるメートル・ドテルの仕事と同じことをしていました。例えば、お客様の前で包丁を使っての作業は、鴨丸焼きを切り分けたり、鹿、スモークサーモン、伊勢海老などなんでも切り分けてサービスしなければなりませんでした。そんな中でソムリエよりも大変だと感じていたのは、自分が寝ている間に、シェフたちは新しい料理を創作するので、永久に追いかけっこで、毎日いくつか新しい料理が出てくるのは結構サービスする者にとって、結構大変で終わりがない感じがしましたね。そこで、ワインなら幾つか話わからないけれど覚えれば終わりだろうと思い、後は楽ができるなと思ったからです。
 もっとも、それだけではなく、日本人がソムリエになることで良いことは、100人ぐらいの職場で日本人でも外国人の中で現場で働いていけるということを周りに教えられること。それから、ポジションが上がることによって給料が上がり、確実に違いが出てくる・・・(すみませんこの部分が周りの雑音で聞き取れていませんので補足をお願いいたします。資格社会で・・・メーリル・ドテルとソムリエとシェフだけが自分自身の食事のメニューを選べるという話のようなのですが)
 そのころはソムリエコートなどなく制服は燕尾服でした。ソムリエになってすぐ430ぐらいあったワインの種類を1週間で全て覚えましたね。コンピューターのない時代でしたから、伝票も全て手書きでした。覚えてどういうふうに売るかということをいつもいつも考えていましたね。労働時間も拘束はなく?量制なんですよ、4時間働いたら3時間休憩して、また4時間働くといった具合で、労働時間が長いとかは全然苦にならなかったですね。あまり器用ではないので、やりたいことが決まったらお金のこととか時間のこととかあまり気にしないですね。
 

Q. 常にお客様を意識した工夫・アイデア


 仕事の中でも、伝票も商品名でなく番号で書くようにして時間がかからないようにしたり、他に記憶に残っているのは、白ワインを冷やす器を7つから30に増やしたりしました。というのは、例えば、白ワインの注文に1本ではなく2本目も目につかないところに用意しておき、1本目がなくなってきた時に、お客様が欲しいタイミングを逸しないようにするという工夫です。1本目が終わりそうな時に、「もう1本お持ちしますか」というのはタイミングが重要なんです。
 さらに、最後にオランダの銀貨を用意しておき、コルクに切れ込みを入れ銀貨を挟み「今日の思い出に」とプレゼントしましたね。銀貨は買ったり、探してもらったりいろいろして200枚ぐらいを用意しておきました。とにかくなんでもやりましたね。
 
 休みの時は、街のど真ん中に、カウンターには30歳ぐらいのおばちゃんがいてあんまり流行っていないワインバーがあって、そこにオープと同時ぐらいに行って、お金がないからカウンターの一番端に座って一番安いワインを頼み、ほとんど喋らずできる限り時間をかけてチビチビやるわけです。そうすると、15回、20回と行くうちにいつも来ているお客さんが声をかけてくれるようになるんです。で、1回ね、70歳ぐらいのおじいちゃんに、あそこにいる日本人は何なんだと興味を持たれ、「君はワインが好きか?」と話しかけられ、「それじゃ一杯好きなワインをご馳走しよう」と言ってくれたことがありました。
  しばらく雑音で聞き取れませんでした。
 
 
 

Q. ソムリエになるためには何も苦にはならなかった


 ・・違うところの店はオーナーが宝石店をやっているユダヤ系のオランダ人で、その店は娘に任せていた。その店で、思い切ってオランダで一番有名なソムリエって誰ですかって聞いた。一番いいのはホテル・ドゥ・ルロープにエクセルシオールというレストランがあり、・・・・・
そこに良いソムリエがいるよということでした。そして、そのシェフソムリエのお兄さんが、フランスでソムリエをやっていて、年取って引退してアムステルダムに住んでいるという情報が入ってきたんです。そのうちに知り合うようになるのですが、その老ソムリエは奥さんと猫と年金で生活をしていて、私は親しくなってからは休みになるとその家に通うようになりました。1年ぐらい通ったでしょうか。行って何をやるかというと、おじいちゃんとおばあちゃんなので、行ったらまず、部屋の掃除を全部やり、必要なものの買い出しを全部やりました。気分が良いとフランスでソムリエをやっていた頃の昔話をしてくれました。資料とかはほとんどないので口伝えでの現場の話でしたが、印象に残っているのは冷やした白ワインを開けた時に、そのソムリエはお客様に見えないように小指を瓶の中にさっと入れてみるのだそうです。そうするとまだ十分に冷えていないとか、ワインの温度がわかるということだそうです。ほんの些細なことのようですけど、ワインを勉強したいと思っている自分にとっては、すごいヒントのように感じましたね。そんなことがあると、老ソムリエに対する奉仕も何の苦にもならないんです。こんなことが僕の学び方、生き方、スタイルなんですね。自分にはあまり協調性がないもので・・・。
 

協調性がないとご自身でおっしゃっていますが、そうだとしても、それがマイナスにはなっていませんね。自分が決めた事に突き進んでいく姿は、お手本になります。

次回に続く

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Profile


ホテルオークラ時代、社員のままフランス ブザンソン大学語学センターでフランス語を学び、本格的にワインに関わる。ブルゴーニュ、シャンパンなどの銘醸蔵元でぶどう栽培からワイン醸造などの研鑽を積む。アムステルダムと東京ホテルオークラでソムリエとして働く。現在は多方面でシニアソムリエとしてワインの楽しさを精力的に伝えている。

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